なんかこの世界寂しいじゃん?

あ、ゆるオタの戯れ言な。

推しの不祥事とファンの在り方

 

ストレートに物事を言う人に対して嫌悪感と同時に羨ましさが沸き起こる。

 

 

普段他人と違う意見を言うことが苦手な私だけどせっかくのブログなので言ってみようと思い立ってパソコンに向かっている。何ならむしろこれは私の意見を聞いてほしい。

 

 

 

 

 

「胃に良い(1211)日に、とてつもなく胃に悪い出来事を起こしましてね」

幾度となく聞いた。石田さんの漫才に対する才能に惚れ惚れした。

あの事故をこういうネタに仕上げるなんてやっぱりNONSTYLEが好きで良かった。

 

 

 

2016年12月11日。

当時高校3年生だったわたしは受験期真っ只中で、それでもやる気は起きないし暇さえあればスマホをいじってしまうのでいい加減ちゃんとしなさいと自分で自分を奮い立たせるためにも受験が完全に終わる2月初めまでスマホの電源を落として勉強に集中しようとした直前のニュースだった。次々と流れてくる報道の何が本当で何が嘘なのか分からなかった。最悪の事態まで考えた。そのことばかり考えてしまって何も手につかなくてこれ以上いろんな情報を目にしてしまうのが怖くてスマホの電源を落とし一切の情報から遠ざかった。

 

2017年3月7日。

前日に不起訴処分になったことを受けて井上さんが謝罪会見を行った。

 

2017年3月30日。

ノンスタ石田with初恋タローのゴリゴリネタライブ」で涙の復帰。不謹慎なのは分かっているが3ヵ月半前から私を含め多くのファンはこの日だけを待ちわびていた。またNONSTYLEの漫才が見れる日常が戻ってきた。「井上の人生は俺の人生でもあるから」という石田さんの言葉を信じて待ち続けていた結果がこの日だった。

 

 

 

 

 

 

先に記したように井上さんはあの事故を起こし不起訴処分になっているのである。 

通常ではあり得ないことにも関わらず被害者側の心情ゆえのこの結果だ。

そしてネタにできるのもバラエティで話に出せるのも被害者との示談、これからも頑張ってねという応援の意を込めた優しさがあったからである。

 

 

わたしはこの処分に「ああ、不起訴で良かった」とは当時も今でさえも思っていない。しかしあまりにも勝手な話ではあるが罰してほしいなど厳しいことも言えないのである。

 

知っている人は知っているだろうがわたしは古株のオタクである。それでもこの処分結果に良かったという言葉は出せないのである。1人のファンである以前に1人の人間だからだ。不起訴処分という結果になったその日TwitterではNONSTYLEファンの「不起訴処分で良かった」という言葉を多く見た。

 

 

 

あまりにも都合が良すぎやしないか。

 

 

 

 

 

正直、私もとても複雑なのだ。解散、引退、悪い結果になることは望んでない。

それでも不起訴で良かったという言葉にはどうしても少し引っかかるのだ。

 

 

 

私たちファンはやることなすこと全て肯定し擁護しなければならないのか?

 

 

私はそうだと思ってない。

だめなことにはだめだと言いたい。言えるようになりたい。

軽率に擁護するような言葉を発してしまうようなそんなファンでありたくないのだ。

 

 

「不起訴で良かった」じゃなくて「また漫才が見れるようになって良かった」